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再読「官庁に出向してみたい」『弁護士の就職と転職』(2007年、商事法務)89頁以下

週末の日経新聞に「公務員 転職希望が急増」という見出しの記事があった。見出しだけチラッと目に入り、てっきり、「コロナショックによる不況で、公務員人気が上がった」という内容だと勝手に推理していた(記事を読まずに)。でも、これは、昨年末までのデータに基づいて、「公務員からの人材流出が増えている。」という内容だったのですね(さすがに、コロナショックの影響が実績ベースで示されてくるのは、もう少し先ですよね)。

少なくとも、弁護士の人材市場では、今後、「中央官庁に任期付きに出向したい」という希望者は増えるでしょうね。不景気には、役所でこそできる、やりがいがある仕事が増えるでしょうし、キャリア形成上も「専門性を身に付けた」っぽいイメージも得られるし(それに、法律事務所側も、仕事がスローになれば、優秀なアソシエイトでも(手許に抱えておかずに)送り出しやすくなるでしょうし)。

「弁護士の就職と転職」(2007年、商事法務)の25項目の中でも、「官庁に出向してみたい」が、最も、弁護士読者からのリアクションが大きかった項目でした(官庁の任期を終えた弁護士から「賞味期限が切れるまでに市場で認知されるようにがんばります!」と言わることが続きました(笑))。

にしても、今、改めて読んでみると、筆者(自分)の「法務省や金融庁に出向した弁護士が羨ましいなぁ〜」感が滲み出ていて恥ずかしい(経産省出向や日銀出向がゼロ評価だったことが悔しかったんだなぁ)。

あ、そういえば、「官庁出向経験を生かして弁護士として(実力以上に)成功した事例」として固有名詞を載せていたところ、関係各所からの指摘で校正段階で削除したこともあったな(笑)。

以下、本文を抜粋して転載。

<以下は、「弁護士の就職と転職」(2007年、商事法務)89頁より抜粋>
第3章 新人弁護士の目標
第3節 「官庁に出向してみたい」

新法の立案担当者ブーム

昨年(2006年)、会社法が施行され、今年(2007年)は、金融商品取引法が施行された。企業の経済活動に重要な影響を与える大規模な法改正が行われたにもかかわらず、大きなトラブルを発生させることもなく、企業はこれに適応することができた。その背景には、法改正の立案に携わった弁護士たちによる情報発信が大きく寄与している。このように、昨年来、企業法務に関連する重要な法改正を背景に「立案担当者ブーム」が到来した。

このようなブームも受けて、新人弁護士の中にも「留学よりも官庁に出向してみたい」という希望を述べる者も増えてきた。では、「官庁への出向」という選択はどうなのだろうか。「人生勉強」、もっと新人弁護士にわかりやすい言葉でいえば、「司法修習の実務修習を改めて受けるような感覚で『行政庁修習』を経験する」という幅広な観点からいえば、新しい環境で仕事をする、異なる分野の人達と一緒に仕事をする、という経験は、おしなべて肯定的に評価できる。だが、「弁護士のキャリア・プランニング」という点においても効果的と言えるだろうか。

新人弁護士の「官庁に出向してみたい」願望は、法律事務所における「スペシャリスト志向」とも相まって生まれてきた。すなわち、「これからの時代は、単なるジェネラリスト弁護士では生き残れない。誰でもできる仕事は後輩弁護士に奪われていく。『自分はこの分野ならば負けない』という専門分野を持たなければならない」というやつだ。

この「スペシャリスト志向」が間違っているわけではない。うまく行けば、他の弁護士にはとって代わることができない稀少価値がある弁護士になることができる。だが「商売」としてえ弁護士業を営む以上は、その「稀少価値」が「お客さんから弁護士報酬を支払ってもらえるタイプのものかどうか」を再チェックしてみなければならない。

スペシャリスト弁護士を目指すことに内在するリスク

一般に、「スペシャリスト弁護士になる」という選択には、2つのリスクが存在する。1つは「専攻した分野がお金にならない分野であった」というリスクである。たとえば、「自分はエンターテイメント法を専門とする弁護士になりたい」といったところで、所属事務所にその手の事件が来なければ、役に立つことはない。もう1つは「専攻した分野での専門家枠の競争に敗れる」というリスクである。たとえば、独占禁止法が大規模な改正を迎えるとき、企業は「いったい、何がどう変わったのか。今までの実務のどこを見直さなければならないのか」という喫緊のニーズを抱える。また、法律事務所では、金融商品取引法の施行前夜には、たくさんの依頼者からの相談を受けたかもしれない。このような法改正の施行時期をスナップショットで捉えれば、各法分野について、それぞれ複数の弁護士で対応しなければならないだけの仕事が与えられるだろう。だが、新法が施行されて実務が安定化すれば、それほど大勢の弁護士が必要なわけじゃない。もちろん、「この法分野については、彼がこの法律事務所で一番、詳しい」というようなスペシャリスト弁護士は必要だ。でも「この事務所で二番目に詳しい」とか「三番目に詳しい」という風になると、段々に、「当該法分野のスペシャリスト」に余剰感が生まれてくる。「一番詳しい弁護士」と「二番目、三番目に詳しい弁護士」の差は、月日を追うことに開いていく。なぜから、誰しも「一番詳しい弁護士」に意見を求めるからである。「一番詳しい弁護士」の手が空いていなければ、「二番目、三番目」の弁護士に事件が回されるかもしれない。だが、結果的に「よい事件」「大事な事件」「面白い事件」ほど、「一番に詳しい弁護士」に集中する。この「一番詳しい弁護士」という評判は、最初は本当は疑わしいものだったのかもしれない。でも、「一番詳しい弁護士」と評されている弁護士に面白い事件が集中していく。そうすると、いつのまにか、「一番詳しい弁護士」は名実ともにその分野で一番詳しい弁護士となり、その地位を不動のものにできる。そんなものである。

立案担当者から当該法分野の権威へのルート

いずれにせよ、「特定の法分野の解釈に関する一番詳しい弁護士」になるためには、その法律の立案担当者になることが近道である。本来であれば、行政庁の勤務経験があるからといって、その解釈に権威を認める必要はない。法律の解釈は最終的には裁判所で判断が下されるべきものだからである。だが、新法の施行時においては、裁判例が存在していない。そこで、解釈指針として「立案担当者の解説」が拠り所にされる。それが正しいとは言い切れない。でも企業からしてみれば「何もないよりははるかにまし」である。だから、新法の施行時には、立案担当者たる弁護士は重宝される。では、その価値は新法施行時だけなのか。価値が続くかどうかは、「新法施行時にどれだけ依頼者の信頼を獲得したか」で決まる。立案担当者の解説は、単なる私見の提示でしかない。だから、本来的には権威はない。しかし、それでも情報に飢えている企業が殺到する。企業が立案担当経験を持つ弁護士の意見に従って実務を回しはじめる。こうなれば、立案担当経験を持つ弁護士の意見は、単なる一弁護士の私見ではなくなる。「実務はこういう解釈の下で動いている」という実務指針を形成する。そうなれば、企業は新たな問題に遭遇してときでも、その弁護士の意見を求めに訪れる。そうすると、その弁護士は実務が直面している最先端の問題を把握してアップデートすることができる。さらに言えば、新法が施行されて何年かが経過すれば、見直しの時期に入る。そのとき、立法担当の行政庁は何を考えるか。「実務に詳しい弁護士に意見を聞こう」と考える。前回の改正の立案を担当した弁護士であれば、そのヒアリング先の候補になる。そして、実務の現場の問題点を次の世代の立案担当者に伝え、それが次の世代の立案担当者からも信頼されるものであるとすれば、「前回の改正の立案担当者」だった弁護士は、この分野での「ご意見番」としての地位も確立できる。政府の審議会の委員や幹事に呼ばれることもあるかもしれない。

どの法分野のスペシャリストにどれだけの企業ニーズがあるか

だが、このような「企業から見て価値がある立案担当者」は、それほど多くの分野で存在するわけではない。確かに、ここ数年、企業の経済活動に与えるインパクトが大きい法改正が続いた。企業としては、少なくとも「この法改正が当社の業務にどのような影響を与えるか?」という検証作業を法律事務所に依頼しなければならなかった。だが、今後、そのような法改正がどれだけ見込めるのだろうか。労働契約法が施行されるときには、企業は労働法のスペシャリストを求めるだろう。また、債権法が改正されれば、企業は既存取引への影響を検証するだろう。しかし、法律事務所としては、スペシャリスト弁護士に対するニーズが、施行の混乱期を過ぎてもなおどれだけ残るのかについては慎重に予測しなければならない。「彼はこの分野のスペシャリストです」として、若手弁護士をその分野の仕事に専従させられるだけの仕事の受注が見込める法分野はそんなにたくさんあるわけじゃない。
若手弁護士の側としては、キャリア選択を戦略的に行う場合には「これが面白そう」というだけで「ユニークな経験」を求めるのは危険である。「商売としての弁護士」を考える場合には、「君の経験は面白いね」で終わってはいけない。「依頼者のこういうニーズに合うよね」という点までたどり着かなければならない。依頼者に理解されなければならないし、パートナーにも理解されなければならない。経験があるパートナー弁護士も「自分が経験したこと」にしか想像が及ばない。だからこそ、法律の具体的な内容の改正に止まらず、「会社法」とか「金融商品取引法」のように名称までもが「自分の知らない新しい法律」についての助言が求められた場合には、新しいコンセプトをもった法律の自分の古い知見だけで対応することには不安が生じる。その不安を補うためにも、立案作業を担当した弁護士の知見を借りたい、自分ではできない部分を埋めて欲しい。そんな思いが生じる。つまり、パートナーの目には「自分が知らない経験」であるが故に「魅力的」に映るのだ。
だが、「新しい名称を付された法律の改正」以外の業務についてはどうだろうか。行政庁において企画部門を担当したという経験はどう評価されるだろうか。産業界と折衝した経験はどうだろうか。銀行界から譲歩を引き出した経験はどうだろうか。それは、貴重な経験である。他の弁護士にはない経験を積んだのだろう。でも、それが「弁護士の業務」として何に役立つのかは未知数である。どの依頼者がどんな相談をしてきたときに、その経験が役立つのかは分からない。依頼者にその価値を伝えることができないかもしれない。このとき、パートナーの目には「自分が知らない経験」であるが故にその経験は「弁護士業務にとって不要な経験」と推定されて映る。「他人がやっていない経験を積む」ということは、それだけでは「商売としての弁護士」には役立たない。「ユニークな経験を積んだこと」を「弁護士としてのキャリア」に活かすためには、さらにもう一歩「これは、こういう依頼者のこういう事件に役立つ」というところまで結び付けて論証する努力が求められる。

監督・検査部門への出向

行政庁への出向は、近時、企画部門だけでなく、現場部署にも広がっている。業法を所管し、監督をしたり、検査をする部門である。弁護士が、監督する側あるいは検査する側に入り込んで、「どういう点を監督しているか」「どういう点を検査するか」、そして「何かが発見されたときに、どう動くか」「どういう意思決定のプロセスを経て行政処分が打たれるのか」という現場の実際を把握することは、法律事務所で勤務を続けていても得ることができない経験である。いわば検察官出身の「ヤメ検」弁護士が刑事事件についての知見を求められるのと同様である。だが、「それが弁護士の商売として儲かるか」といえば、ひとえにそれは「お客さんがその経験に価値を見出してくれるか」という点に集約される。「いくらの弁護士報酬を支払ってくれるか」と言い換えてもいい。業規制対策のスペシャリスト弁護士として、お客さんが付けば、それは、法律事務所の売上げに貢献する存在となる。また、大手で「フルラインのサービス」を標榜する法律事務所であれば、業法のスペシャリスト弁護士の枠も1つくらいは存在するであろう。

監督あるいは検査の部署での出向経験を積んだ弁護士には、1つ留意しなければならない点がある。それは経験の陳腐化である。監督あるいは検査は、その運用に採用の余地が少なからず存在する。それが故に「内側に入っていた弁護士」の価値が生まれる。だが、この運用は人に依存する面が大きい。年月が経ち、責任者や担当者が交代すれば、運用も次第に変化していく。行政庁としてのポリシーの見直しもあるだろう。よく言われる言葉に「監督や検査の担当部署からの天下りは、賞味期限が短い」というのがある。何年も前の経験は役に立たないというのである。結局のところ、新法の立案担当者と同じことが言える。つまり、「監督や検査の部署にいたこと」自体に価値があるわけじゃない。「監督や検査の部署にいたこと」をきっかけとして、依頼者からこの種の事件を受任することによって、はじめて「最新の実務に詳しい弁護士」というステイタスを得ることができる。だから、「監督や検査の部署にいた経験が活きるかどうか」は、出向終了後の時点で、どれだけその経歴を生かしてお客を集めることができるか、という点が鍵となる。そのためには「元検査官」とか「元監督局」という肩書を売りにすることがあるかもしれない。ただ、ここで気を付けなければならないことがある。そのような売り込み方にも節度が必要だ、ということだ。より具体的にいえば、「出向先であった行政庁の現在の職員から嫌われないように」ということだ。行政庁ではその肩書が「金儲け」に濫用されることを嫌う。その部署に勤務した経験があるというのは過去の話であり、今の現場を担っているのは、今の職員たちである。もし、長期的に、その分野での専門性をみがき続けたいと思うのであれば、現職の職員とも友好的な関係を維持することに努めるべきだろう(けっして「迎合しろ」という趣旨ではないが)。


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