再読「困っている人を助けられる弁護士になりたい」『弁護士の就職と転職』(2007年、商事法務)第2章 第1節
新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策としての自宅待機ムードの週末に、弁護士10年目を迎える方から、「ロースクール生時代に、西田さんの本を読んで、一般民事から企業法務系に志望に変更しました。困っている人を助けることを仕事にするならば、弁護士ではなく、公務員になったほうがいいですよね。」と言われる。
「なんのことだろう?」と思って、「弁護士の就職と転職」(2007年、商事法務)を引っ張り出してみて、「あぁ、このことか」と、第2章第1節を今更ながら読み直す。そういえば、一般民事の依頼者からの感謝について「警察や行政に対して抱く感謝の念と同質のものである」なんて書いていた。
2007年。当時は、まだ「過払金返還請求バブル」だったなぁ。自分自身は、独立後も、過払金返還請求は一件も扱うことなく、「割りに合わない仕事」ばかりをしていた。知り合いの税理士の先生から相続関連の事件のご紹介を受けて、東北まで出張して、帰り際に、請求書を渡そうとしたら、「どうもありがとうございます!」と言って、深々と頭を下げた、おばあさんから、特産品であるりんご(1箱)を渡されてしまい、請求書を渡しそびれてしまって、「ひとり反省会」と称して、自腹の新幹線のグリーン席で贅沢して帰京したときの複雑な気持ちを、本に書くことで、毒抜きしていたんだなぁ。。。。
<以下は、「弁護士の就職と転職」(2007年、商事法務)39頁より抜粋>
第2章 弁護士を志す若者の目標
第1節 「困っている人を助けられる弁護士になりたい」
仕事の対価を金銭で求めるかどうか
「弁護士になりたい」という動機の1つに「困っている人を助けて上げられる仕事をしたい」というのがある。その仕事を担うことに満足感を得る、自己実現を感じる。それ自体は素晴らしい。では「職業としての弁護士」という視点から見たとき、この高尚な動機を実現するためにはどういう方法があるか。2つの方法が考えられる。1つは、自分の余暇を使って、対価を得ることを欲せずに、「困っている人」からの仕事を無償で引き受ける方法である。もう1つは、依頼者から感謝されつつも、きちんと仕事の対価を徴収して、その対価によって生計を成り立てていく方法である。この2つの方法は、依頼者の探し方も異なれば、弁護士としての時間の使い方にも違いが生まれる。
弁護士がいかに自己の生計を立てるか
まず、対価を求めることなく、「困っている人」からの仕事を引き受けることを考えてみる。これを実現するためには「この仕事からの収入に依存することなく、自己と家族の生計を維持しているだけの資産を持っているか、あるいは、別の収入源を持つこと」が前提条件として求められる。すでに将来に不安がないだけの資産を持っているなら、自己の時間をフルタイムで「困っている人」を助けるための仕事に捧げるのもよいだろう。ただ、それだけの資産を持ち合わせていないなら、まず「自分の生計を立てる」だけの収入源を確保しなければならない。しかも「できるだけ多くの時間を困っている人のための仕事に割きたい」と思うならば、この「別の収入源」は、できるだけ短時間で、効率よく収入を稼ぐ仕事であることが求められる。そのような「別の収入源」を成り立てられるだけの「金儲けのセンス」がなければ、困っている人を無償で助けてあげられる仕事に自分の時間を割く余裕を持つことはできない。皮肉なことではあるが。
現実には「新たな収入がなくとも生計を成り立てていける弁護士」は稀であるし、「効率よく収入を上げて余暇を確保できるような弁護士」も稀である。また、そのような弁護士がいてもその弁護士に「困っている人を助ける無償の仕事のために自分の余暇を捧げたい」と考える傾向があるわけでもない。したがって、通常は「困っている人を助ける仕事のために時間を費やしたい」ときには、「そのような仕事からいかに対価を徴収するか」という、きわめて現実的な問題を抱えてしまう。
「原告タイプ」と「被告タイプ」
弁護士の仕事から見れば、「(法律面で)困っている人」は2つのタイプに分けられる。1つは「他者から不当な請求をされる」ことにより「被害者になっている」という「被告タイプ」である。もう1つは「他者に正当な権利を持っているにもかかわらず、それを受け入れてもらえない」という「原告タイプ」である。もちろん、両者の性質を合わせ持っていることもある。たとえば、「悪徳消費者金融業者からの請求を受けている」という事件では「過剰な請求を受けている」という面では「被告タイプ」である。ただし、同時に「すでに法律上の制限を超えた利息を支払っている」ならば、「超過支払分の金銭の返還を求める」という「原告タイプ」の性質も兼ね備えている。では「いかに対価を徴収するか?」という問題を考えるときのポイントはなにか。それは「依頼者が『原告タイプ』の性質をどこまで持っていてくれるか」にかかっている。
弁護士報酬を請求するときの困難
「被告タイプ」の「困っている人」は、確かに可哀想である。もし、目の前に不当な請求を受けている人がいれば、弁護士としては「その権利を守ってあげたい」と素朴な使命感を掻き立てられる。その人の弁護を引き受けて汗を流せば、その人は弁護士に感謝の言葉を口にするだろう。いや、言葉だけでなく、心底そう思っているかもしれない。もし、その感謝の言葉と気持ちが対価として十分であるならば、躊躇することなく、困っている人を守る仕事に取り組むべきだ。だが感謝の言葉と気持ちで法律事務所の賃料を支払うことができるわけではない。秘書や事務員に給料を支払うこともできない。弁護士業務を続けていくためには、金銭に形を変えた対価を稼がなくてはならない。
「不当な請求を受けて困っている人」の心理は微妙である。すなわち、「不当」であるが故に、「自分が被害者である」ことを強く認識している。そのため、「本来であれば、自分はこのようなトラブルに巻き込まれるはずではない」と固く信じている。したがって、弁護士の活躍によって、不当な請求を免れたとしても、そこには「本来あるべきポジションに戻った」という意識が生まれるにすぎない。弁護士は「本来あるべきポジション」につれてきてくれた恩人である。しかし、その感謝は警察や行政に対して抱く感謝の念と同質のものである。「コストを負担しなければ、そのポジションを得られない」という意識は希薄である。「不当な請求」の「不当性」が高く、「自分は無罪である」「自分は何も悪くなかった」と信じているときほど、この傾向は強い。むしろ「自分にも非があった」と感じている人のほうが「トラブルを招いた責任は自分にもあり、そのトラブルを解決するためにはコストが必要である」と感じてくれる。そして、「弁護士への感謝」は、トラブルが解決してから日が経つにつれて薄れていく。それは仕方がない。「トラブルに巻き込まれていた人」は、トラブルが解決すれば、「トラブルがない」という「本来の姿」であると感じる日常生活に戻る。もしかしたら、弁護士は不愉快なトラブルを思い出させる存在であり、「もう会いたくない」存在かもしれない。となると、今度は「弁護士報酬を支払う」ということが悩みの種となる。自分は何も得ていないにもかかわらず、なぜ、弁護士費用を負担しなければならないのか。他人のトラブルに便乗してお金を請求するほうが不当ではないか。所詮は金のために働いていただけではないか、との疑念が湧く。そんな中でも、あえて「もう一度、弁護士に会いたい」と考える人が現れる。前回の事件の報酬を支払うことにより、弁護士との関係を維持したいと願う人が現れる。それはどういうタイプの人か。その典型例が「再びトラブルに巻き込まれる可能性が高い人」だ。しかし、今度は弁護士も慎重に考えるだろう。なぜ、この人は繰り返しトラブルに巻き込まれるのか、と。
現実的な弁護士報酬の回収方法
以上に対して、「原告タイプ」の「困っている人」からの相談は、弁護士も報酬を受けとるチャンスが広がる。なぜか、それは、依頼者の請求が成功すれば、その分け前に預かることができるからである。具体的には、相手方からの金銭の支払いを受けることに成功するとき、弁護士名義の銀行口座への振込みを受けて、弁護士報酬を差し引いた上で、依頼者に残金をわたしてやればよい。これならば「依頼者のポケットから弁護士報酬を捻出させる」というプロセスを回避することができる。もちろん、経済的には依頼者の負担の上に弁護士報酬がまかなわれているという事実に変わりはない。弁護士の分け前の割合が大きければ、そのことに不満を抱く依頼者もいる。しかし、依頼者が「弁護士に依頼しなければ、回収額はゼロのままだった」と考えていればどうか。仮に、弁護士報酬のために回収額が削られたとしても依然として「ゼロに比べればプラス」とメリットを感じることはできる。不適切な表現になることを恐れずにたとえば言えば、依頼者と弁護士は「他者への請求のネタを持つ依頼者」と「ネタをお金に換える交渉力をもつ弁護士」という関係が成り立つ。そして交渉が功を奏せば、回収資金を元手にお互いに分け前に預かることができる。「困っている人を助けられる弁護士になるためにはどうすればよいか」という当初の純粋な問いからは随分と遠いところにたどり着いてしまった。
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