照井勝弁護士(青山綜合法律事務所パートナー)の商事法務ビジネス・ロー・スクールのセミナーを受講して、旧長島・大野の新人研修を思い出すだけでなく、旧森綜合で語り継がれてきた弁護士教育を疑似体験させてもらった話
エンタメ法の先駆的事務所である青山綜合のウェブサイトに、照井勝弁護士の「『考える』?いや、『考え抜く』法務」と題するオンラインセミナーの告知を見た時には、ぼくは「あ、著作権法分野での専門家を目指す若手向けのセミナーなのだろうな」という安易な予想をしていた。
その後、商事法務ビジネス・ロースクール情報でのWEBセミナーに案内が出て、
と紹介されているのを読んで、今度は、「あ、独立してからの営業のノウハウを伝えてくれるセミナーなのか」「最近は、この手のセミナーが多いからな」と安易な想像してしまった。それどころか、「営業ノウハウの開示だけで、受講料3万円に見合う情報を提供するのは、結構、シンドイんだよな。照井先生は、どんな情報を提供されるのだろう?」とまったくの見当違いの心配をしてしまった。
いざWEBセミナーを受講してみると、そんな安易な想像に頭を回らせてしまった自分をとても恥ずかしく感じている。
「先人たちの教え」では、旧長島・大野法律事務所のオフィスで、そして、旧森綜合法律事務所のオフィスで、長年にわたり、パートナーからアソシエイトへと幾度となく語られてきた言葉が紹介されていた。
「『大手法律事務所の看板』が存在する以前の時代にどのようなスタンスで仕事に向き合ってきた弁護士たちがクライアント企業から選ばれるようになったのか?」の歴史の一端に触れることができる。
ぼく自身は、WEBセミナーを受講しながら、1999年4月の新人弁護士時代に、旧長島・大野法律事務所の新人研修で受けた長島安治先生のレクチャーを思い出した。
長島先生は、受講生である新人弁護士6人に対して「講義の最後にひとつずつ質問をするように」と指示を出された。ぼくの質問は「弁護士には、ジェネラリストとして知識を広める方法と、スペシャリストとして知識を深める方法があると思うが、どちらが正しいのか?」というものだった。ぼくの質問に対して、長島先生は、誰か学者の言葉であるとの前置きをした上で(恥ずかしながら、引用元である学者の名前を覚えていない)、
といった趣旨の回答をなされていた。当時、ぼくは「うまいことはぐらかされてしまった」ぐらいにしか理解できなかった。でも、今、セミナーを受講しながら、「あ、照井先生は、この『地下の深いところの水脈』の話をされているのだな」と感じた。どの法分野を専門とする弁護士であっても、仕事に対するスタンスについては、深いところで、共通して求められるものがある。
照井先生は、穏やかな語り口で講演を続けておられるが、その端々に「今でも仕事が楽しい」という言葉が繰り返される。20年以上も企業法務を続けてきて、「仕事が楽しい」と留保なく言える弁護士は少数しかいない。多くの弁護士は、仕事に関して、段々と、お金の話とアソシエイトに対する不満しかしなくなって来てしまう(一般民事系では、会務や趣味に自分の関心を求めることが増えてくる)。
セミナーを受講する前は、失礼ながら「3時間半もの講義は、週末に、雑多な仕事をし『ながら』で視ることになるかな」と考えていたが、終わってみれば、他に実務的な作業に取り組む余裕などなく、脳は、照井先生の言葉に導かれて、自分の24年間の弁護士経験の記憶の中から、関連する案件の経験を検索するのにフル稼働させられて、机上に置いていたノートは手書きのメモで埋まっていた。気付いたら、照井先生とではなく、記憶の中の過去の自分と対話させられていた。受講料は、ノウハウ開示という情報の対価ではなく、照井先生による議事進行の下に、3時間半の間、自己と対話する機会を持てる場への入場料として設定されているようにすら思われる(実際、このセミナーを受講する弁護士は、仕事上、若くても時間単価3万円、パートナークラスならば、時間単価4万円、5万円に相当する相場で働かれている人たちが多いだろうから、コスパを測る指標を、3万円の受講料ではなく、3時間半の時間を講座の視聴に充てられるかどうかに求めることになるだろう)。
照井先生を語り部として紹介される「先人たちの教え」には、弁護士業務にプロフェッショナルとしての高い要求水準での仕事を求める厳しいものが多い。しかし、厳しいだけではなく、その努力が報われるものであることも伝えてくれる。
今回の講義の中で語られていた、長島安治先生からかけてもらったという労いの言葉を、本noteの最後に紹介させていただきたい。
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