(備忘録)「弁護士が成長するためにはハードワークが必須」という発想を克服すべきなのかも
最近、お子さんを抱える女性弁護士たちが「育児のためならば、もう仕事を辞めてキャリアを諦めてもよいかと思った」という状況から、インハウスになってからは、「法務部で、他のママさん弁護士たちと、アベイラビリティの低さをお互いに補いながら、チームプレーで仕事を回している」という事情を聞く機会があった。
前回の備忘録は、
― 弁護士のキャリア形成にとってみれば(少なくとも)若い時期は、ハードワークで自分のスキルを磨く経験値を得ることが必須
という発想をベースに書いていた(これを「旧司法試験世代的な発想」としておく)。
(これは、「そうしなければ」のシナリオとして、「本来、修行すべき時期にプライベートを重視するような生活を送っていると、重たい仕事や緊急な仕事に対しての『踏ん張り』がきかなくなり、リーガルサービスの質は低いものになってしまうから、リーガルサービスに対する目の肥えた企業クライアントからの仕事を受けることはできなくなってしまうぞ(だからお前は、違う路線で生き残り策を考えなければならなくなるぞ)」と(企業法務を志す若手弁護士に対する)脅しとも取れる説教の性質を帯びている。)
でも、この発想は、
― 弁護士は、いずれは自分の腕一本で食っているようにならなければならない
― 各弁護士は仕事にひとりで立ち向かわなければならない、
という前提を置いているのかも、という気もする。
もし、「仕事にはチームで対処する」(一時的なアベイラビリティの低さは、同僚のサポートを要請できる)という選択肢を追加できるならば、
― ハードワークでなくても、時間をかけて、適切な経験を積んでいくこともできる、
というルートが開拓できるのかも(というか、そういう未来を目指して試行錯誤を繰り返していくことが求められているのかも)と、ちょっと思わされた。