見出し画像

(備忘録)司法試験受験と「反骨精神」(≠経済合理性に基づく判断)

今年(令和4年)の司法試験が来月に迫っているが、来年(令和5年)からは、司法試験が7月開催となり、法科大学院の最終年次の在学中の受験が可能になる。

「法曹コース」修了者の司法試験受験により、これまで「法曹となるまでに最短で約8年」だったものが、2年短縮して、「最短で約6年」になると言う。

文部科学省のウェブサイトより

確かに、理屈の上からは、「法曹となるまでに最短で約8年」を要する職業選択よりも、「法曹となるまでに最短で約6年」で足りるとする職業選択の方が、経済合理性にも適うと判断する志願者が増える、という発想は「そうなのかもしれないな」とは思う。

ただ、人材紹介業者として、キャリア相談の現場で感じているのは、
― 最近は(法曹資格取得までの年月が長くて人気が下がっているから)若手弁護士の能力が低い、
という印象ではなく、
― 最近の若手弁護士には、反骨精神が足りない、
という印象の方が強い(「反骨精神がある弁護士」は、キャリアコンサルタントなんかに自分のキャリアを相談しないだけかもしれないが)。

旧司法試験世代においても、
ー 中長期的なキャリア戦略として、弁護士になるのはコスト・パフォーマンスが悪くないから、司法試験を目指した者が多かった
という印象は特にない。

むしろ、大学2年、3年になってからより近視眼的に、
― 就活したくない。サラリーマンになんてなりたくない。
という消去法的選択から、
― だったら、司法試験でも受けるか、
と言う受験生の方がずっと多かった、という印象を抱いている。

そういう態度に対して、
― 社会に出たくないだけのモラトリアムだ、
と批判を受けることがあっても、それを承知で、本人は、
― 合格して結果を出したら、批判した奴らを一泡吹かせてやれる、
という「今に見てろ」という復讐心を燃料として勉強に励むことができた(ような気がする)。

ぼくの感覚では、旧司法試験時代には、
― 「優秀」かつ「反骨精神」
がある層が一定数で存在していていた(学生運動に取り組まれてきた大先輩の世代からすれば、「その程度で『反骨精神』なんて簡単に言葉を使うな!」と怒られそうなので、単に「お膳立てされたルートを嫌ってリスクを取る」という程度の意味にしかすぎないが)。

それでは、「法曹コース」は、こういった層(現代における「優秀」かつ「反骨精神」層)にとって魅力的なものであり、司法試験受験に向かわせることができると言えるのだろうか?

「法曹となるまでに最短6年」を目指すならば、優秀な成績を収めて法学部を早期卒業して、法科大学院(既習コース)に進んで、学長認定を受けて、在学中受験をする、という手続をクリアしなければならない。

法務省のウェブサイトより

「真面目な優等生」志向ならば、
― まず、大学側から「優秀な成績」を認めてもらって、
― 法科大学院側から、学長認定を受けて、在学中受験をする、
という「2年短縮のメリット」を見越して、「法曹ルート」進学に魅力を感じるかもしれない。

でも、「反骨精神」がある学生にとっては、どうなのかなぁ。。。。仮に司法試験に興味を抱いたとしても、受験資格取得のルートとしては、
― 所属する大学に頼らなくとも、テストの結果さえ良ければ受験資格が与えられる予備試験のほうが性に合っている、
と言われてしまうような気もするなぁ。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?